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【個人インタビュー 005】染原英二さん

2018年04月15日 19:07 by tabunka_tokai
2018年04月15日 19:07 by tabunka_tokai

若者への恩返し~支援で受けた恩を講師になって返す~

染原英二(そめはら・えいじ)さんは、日系ブラジル人で15年前に来日しました。自動車関連工場や豆腐屋などでの仕事を経て、現在はNPO法人外国人就労支援センター(豊橋市)で外国人青年の就労を支援しています。染原さんはどのような想いで活動しているのでしょうか。2011年12月上旬、同センターでお話を伺いました。 

事務所に隣接するElu-café(いるカフェ)(注1)で待っていると、「お待たせして申し訳ありません。授業が延びてしまい遅くなってしまいました」と一人の男性が現れました。日本人の先生かなと思いましたが、その方こそが染原さんでした。こんな流暢な日本語を話す方が外国人!?と、正直驚きました。しかしもっと驚いたのは、そんな染原さんも日本へ来たばかりのころはあいさつ程度の日本語しかできなかったということです。

 注1:NPO法人外国人就労支援センターが運営するカフェ。外国人青年の職業訓練の場としても活用されている。

(いるカフェの外観) 

悔しさをバネに

来日後、染原さんは日本の中学校へ通いましたが、すぐに不登校になってしまいました。それは日本語が上手に話せず、コミュニケーションがうまく取れなかったからだそうです。そのため、学校以外でいつも一緒にいるのは兄弟だけ。染原さんが日本で初めて友達ができたのは高校生のとき、サッカーがきっかけだったそうです。それからは、大好きな日本の音楽をきっかけに、たくさんの友達ができました。歌詞が聞き取れなかったり、歌詞カードを見ても読み方がわからなかったりと大変でしたが、言葉の意味を何度も調べたり、発音の練習をしたりしたと言います。カラオケ友達もでき、「日本の歌を歌っていると日本人みたいに日本語がうまいけど普通に話すときの日本語はまだダメだね、なんて言われたこともありました」と苦笑しながら話してくれました。

「ブラジルでは学力はトップクラスだったけど、日本へ来てからは言葉がわからないせいでまったく勉強ができなかった。それがとても悔しかった」と染原さんは言います。人一倍負けず嫌いな染原さんは、日本語を習得するために弟が通う小学校の日本語の授業に参加したり、国際交流協会の日本語教室で勉強したりしました。そして、今では外国人に日本語を教えられるまでになったのです。

NPO活動は“恩返し”

染原さんは現在、NPO法人外国人就労支援センターで「インターナショナル・ジョブトレーニング」(注2)の講師を務めています。ここでは外国人青少年に、仕事に必要な日本語や社会のルール・マナーを教えています。座学だけではなく、外へ出ていろいろな体験学習をすることもあるそうです。

先日は受講者の若者といっしょに「笑いヨガ」(注3)の講座に参加したそうです。相手の顔を見るだけでは何にもおもしろくないし、最初のうちは恥ずかしくてあまり笑えませんでした。笑いヨガには高齢の参加者が多いのですが、あるとき若者たちが「高齢者に元気をわけよう!」と一緒に笑い合ってみたところ、終わってから高齢者の方が「ありがとう」言ってくれました。その一言を聞いて、彼らはとてもうれしい気持ちになったそうです。こういった課外活動を通して、日本人とのコミュニケーションを学んでいるんですね。

染原さんにNPOで活動するようになった理由を尋ねると、「恩返しをしたいから」と答えてくれました。国際交流協会のボランティアの方にとてもお世話になったという染原さんは、その時の恩を直接お世話になった人にではなくても何かしらの形で返したいという思いで、この活動をしているのだそうです。

注2:外国人の不就学・不就労青少年が目標や将来を模索し、技術を身につける場。仕事へ就くための訓練(ビジネス日本語、母語学習)や資格取得講座(日本語能力試験)、技術講座(パソコン)などを行っている。詳しくはコチラ

注3:誰でもできる笑いの健康法。5分間の大笑いは、15分のボート漕ぎマシンに匹敵する運動量だといわれています。詳しくはコチラ

(熱心な中にも和気あいあいとした授業風景) 

食わず嫌いはイヤだ

染原さんは、この15年間でいろいろな仕事をしてきました。重労働で多くの人がやりたがらない工場の仕事も経験しました。染原さんは「“食わず嫌い”がイヤだから」と、結果が良いか悪いか、何事もやってみなければわからないと考えて、いろいろな職場で働き、たくさんの人との出会いを繰り返して今の活動に至ったのだそうです。また、どんな小さなことにも“never give up”の精神でチャレンジしてみることを大切にしていると言います。最近では、苦手な納豆に6度目の挑戦をしたそうです。「結果は・・・やっぱりダメだった。でも、今度また挑戦してみます」と笑いながら話してくれました。 

伝承したい意思

そんな自身の経験や考え方を、センターの活動を通じて青少年に伝えています。教室には、いくつかの貼り紙があります。それは、染原さんの人生経験から導かれた「教訓」でした。<郷に入れば郷に従え>これは、その土地やその環境に入ったら、そこでの習慣ややり方に従うのが賢い生き方であるというものです。染原さんは自身の体験から、最低限のルールに従えば、日本人と同じような扱いを受け、変な目で見られることはないし、そのような考え方でいればすぐに環境に馴染めるだろうと、考えているそうです。他には、<先に言うと「あいさつ」、後から言うと「ただの返事」>という言葉もありました。あいさつを待つことは、誰にでもできる受け身的な行動。先にあいさつをする積極的な姿勢を持ってほしいという想いから、これを教訓としているとのこと。実際にこの教訓を掲げてから、センターに通う青少年たちは自分から積極的にあいさつをするようになったそうです。

(壁に並ぶ「教訓」) 

意識すればするほど遠ざかる

多文化共生社会の実現のために必要な活動について聞くと「意識すればするほど遠ざかる」という言葉が返ってきました。染原さんは、「活動することはよいことだが、意識し過ぎると共生が遠ざかってしまう」と言います。「例えば、ブラジル人のためのフェスティバルを開催したとすれば、ブラジルのことを知る機会があって多文化共生に繋がると考えられる。でも、そこで参加者は日本とブラジルの大きな違いを知り、その違いが両者を遠ざけてしまうことにもなりうる」のだと。「そういった活動をすればするほど、余計に外国人として意識をしてしまう。違う文化に溶け込むことは思っている以上に難しい。しかし一方で、そうは言っても放っておけばいいということではない。多文化共生に最も必要なのは「時間」。必要以上に意識し過ぎず、時が経てば自然と多文化が共生する社会になっていく」と考えているそうです。「10年前、日本人はブラジル人に対して“出稼ぎ”というイメージをとても強く持っていた。しかし今日では日本で多くのブラジル人が家族を伴って来日し、また日本で新たな家庭を築いている。日本社会もブラジル人に対するイメージが少しずつ変わってきている。もちろん、それにはこの間に多くの人によるさまざまな取り組みがあったからこそだけど、時間の経過による社会や個人の生活環境がイメージの変化に大きな影響を及ぼした」と染原さんは言います。

 

親ごころ・居場所

染原さんの青少年に対する想いは、父親の子どもに対する思いと同じようです。「プライベートと仕事を一緒にしてはいけないとわかっているけど、ただの生徒としてみることができない」と言います。自身の経験が生徒と重なり合うこともあり、放っておけず親身になって考えてしまう。時には上司から、そこまで考えすぎるなと言われることもあるほど、熱い気持ちで取り組んでいます。

そんな染原さんが働くNPO法人外国人就労支援センターは、生徒たちにとって楽しくて安心できる居場所となっています。そこは、学校とも仕事場とも家とも違います。そこへ行けば、自分と同じような境遇の人と話ができます。ある生徒は、家で一人で勉強するよりも、センターで誰かと一緒に勉強したほうが楽しいし頭に入ると言います。センターは、個人の居場所でもあり、人とつながる場にもなっているようです。

 

*この記事は、2012年1月発行『たぶんか便り』第5号の記事を元にしています。本文内の情報はすべて、発行当時のものです。

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