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【団体インタビュー 006】NPO法人日本ボリビア人協会

2018年05月25日 10:41 by tabunka_tokai

日本に息づくボリビア人コミュニティー

南米に位置するボリビアは、周りをブラジルやペルー、パラグアイ、チリに囲まれる内陸国です。正式名称を「ボリビア他民族国」と言います。国土の3分の1をアンデス山脈が占め、主要都市のラパスをはじめ、富士山山頂と同じくらいの標高に町が形成されている「高原の国」です。主要産業は農業で、野菜や果物の種類が豊富です。団体の代表を務めるのは、山田ロサリオさん。日本に来たきっかけから、団体を立ち上げ、今日に至るまでの事を伺いました。 

言葉がわからない大変さ

ロサリオさんはボリビアで日本人男性と結婚し、3人の子どもに恵まれました。結婚後、しばらくボリビアで生活していましたが、子どもに日本の教育を受けさせたいと言うご主人の希望で日本へやってきました。もともと日本へ行くことは考えていなかったため、日本語を勉強することもないままに来日。到着した成田空港では人の多さに驚き、住むことになった奈良県のアパートの狭さに衝撃を受けたそうです。当初は、言葉や習慣のあまりの違いに「毎日泣いていた」と言います。

子どもを学校へ通わせるのも、学校からのお知らせの意味が理解できずに苦労しました。ご主人は仕事が忙しかったため、自分で日本語を学ぶ必要を感じました。必死であちらこちらへ相談に行くなか、市役所の紹介で、夜間中学校で日本語を学ぶ機会を得たのは、日本に来て半年ほど経ったころでした。

通訳のサポートを経験して

そこからどのようにして、NPO法人日本ボリビア人協会を立ち上げることになったのでしょうか。その発端となった、ある出来事があります。1995年のある日、ロサリオさんはカトリック教会のミサに参加しました。その時、教会には困って相談に来た100人ものブラジル人やペルー人がいました。多くの外国人労働者を受け入れていた工場が阪神・淡路大震災の影響で倒産し、社長が給料を持って逃げてしまったというのです。パニック状態の中、状況を打開しようと立ち上がった当時の市会議員さんから、“日本語ができる”ロサリオさんに通訳のサポートをお願いされました。

その時、ロサリオさんはとても戸惑ったといいます。「日本語ができると言っても、こんなにたどたどしい日本語しかできないのに…。」それでもロサリオさんは、「自分は夫が日本人であっても、日本での生活にこれほど苦労をしてきたんだから、日本語がわからない外国人はもっと大変なはずだ」と、意を決して協力することにしました。当時はまだ、市役所も各種書類の手続きなど多言語対応しておらず、通訳ができるスタッフはいませんでした。外国人が日本で生活していくためには、様々な問題について母国語で相談できる場所が必要だったのです。それから2か月後の1995年9月、50名ほどの在日ボリビア人が集まり、日本ボリビア人協会の前身となる、関西ボリビア人会が誕生しました。

日本全国、どこへでも

同会では、在日ボリビア人に対してスペイン語の相談窓口を設けています。設立当初は多くの相談が寄せられ、1日24時間では足りないと感じるほどだったそうです。その内容は、入国手続き等の法的な相談や保険に関するものが多く、解決のために日本全国を飛び回ったといいます。また、不景気の折には雇用保険の手続きや仕事中の事故(労働災害)も増えます。相談や問い合わせの多いものに関しては、詳しく説明するための講座などを開いて、一人ひとりに知識を得てもらうこともしました。多種多様な相談に対して、それぞれ専門家・機関と連携しながら一つずつ対応してきました。

(ある日の講習会の様子)

最近は、相談件数が以前と比べて減ってきたそうです。それは、これまでの活動に加えて、市役所など様々な公的機関でも多言語対応が行われるようになったからだと考えます。こうした状況に対してロサリオさんは、「寂しくなんかないですよ。とてもうれしいことです」と、笑顔を見せてくれました。

ボリビアを知ってほしい!

2010年に活動拠点を三重県津市に移し、日本ボリビア人協会と団体名を改めました。そして、日本人にボリビアのことをもっと知ってもらいたいという思いから、ボリビアと日本の文化交流にも力を注いでいきます。きっかけは、ご自身のお子さんの通う学校から、ボリビアについて子どもたちに話をしてほしいと依頼されたことでした。ボリビアがどんな国でどんな人々が生活しているのかを、多くの学校等で講演をするようになりました。

(小学校でのボリビア紹介)

また、2008年からは「EXPO BOLIVIA」というイベントを主催し、ボリビアの伝統舞踊を披露したり、ボリビア製品の紹介・販売をしたりしています。今年はすでに1月に大阪で開催し、4月には初めてとなる東京開催も行われました。ボリビアの人々は、とても踊りが好きなのだそうです。色とりどりの華やかな衣装で行うステージは、フォルクローレという民族音楽とともに観客を楽しませています。

(EXPO BOLIVIA での民族舞踊)

広がる活動、教育に力を

2012年1月、日本ボリビア人協会はNPO法人格を取得しました。東海3県の外国人コミュニティーでNPO法人を取得している団体はごくわずかです。申請書類や毎年の事業報告もすべて日本語で提出しなければならず、とても大変なことです。しかし、ロサリオさんは「NPO法人として認証されたことによる日本社会からの信頼を強みにして、もっと活動の場を広げていきたい」と話してくれました。

今後の活動について伺うと、「これからは子どもの教育について力を注ぎたい」と力のこもった言葉が返ってきました。団体の相談窓口でも、教育に関する相談が増えているそうです。ロサリオさんは、あるお母さんの言葉が忘れられないと言います。その人は、「子どもを大学に行かせても、日本では外国人がいい仕事に就くチャンスがない」と言いました。日本語の習得はもちろんのことですが、日本の会社で働くには、マナーやルールを学ぶことが重要です。これが今の教育に不足しているとロサリオさんは考えます。「私たちがドアを開けてあげれば、子どもたちはやる気が出る。頑張ろうって思ってくれる。これからは企業とも連携して、労働に関する知識やマナーなどの講習会を開いていきたいです。一人ひとりが前向きになって、若い子たちが日本の社会に一層なじんでいけるようにしていきたいんです」と教えてくれました。

さらには、「日本にボリビアの製品をもっと広めたいです。現地の先住民の作るアルパカの布製品などは、カラフルで温かみがあります。今はまだ日本人が求めるほどのクオリティーに達していないんですが、いつか日本で技術や知識を身につけた子どもたちが、ボリビアに帰って教える側に立ち、現地の技術をレベルアップすることができたらうれしい。夢のような話ですけどね」と笑顔で語ってくれました。

一歩一歩 前へ

今、行政などが様々な場面で“多文化共生”という言葉を使っています。しかし、現状は「まだまだ」だとロサリオさんは言います。「特に、子どもを取り巻く環境は、平等な勉強の機会が与えられていない現実がある。日本全国で、多文化共生のシステムを作りあげることはすぐには難しいけれど、一歩一歩のプロセスが必要です。壁は高いですが、まずは教育から変えていきたい」と話してくれました。

団体を立ち上げてから16年。故郷を離れて3人のお子さんを育てながらの活動は、本当に大変だったと思います。それでも、「私は日本が大好きです」と笑顔で今後の抱負を語ってくれたロサリオさんは、とっても温かくて力強い、魅力的な方でした。 

*この記事は、2012年5月発行『たぶんか便り』第6号の記事を元にしています。本文内の情報はすべて、発行当時のものです。

 

NPO法人日本ボリビア人協会                      〒517-0027 三重県津市大門7-15 津センターパレス3F          facebook:https://www.facebook.com/ARBJ-Asociacion-de-Residentes-Bolivianos-en-Japon-61307559014/

 

 

 

 

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