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【個人インタビュー 007】チャン・ヴァン・タンさん

2018年05月25日 10:37 by tabunka_tokai

日本での経験を糧に 新たな出会いと未来への道-

ベトナムからやってきたエンジニアのチャン・ヴァン・タンさんは、来日してまもなく4年になります。ベトナムで6か月間日本語を学んでいたので、来日初期に日本語がわからなくて困ることはあまりなかったそうです。しかし、当時は知り合いがほとんどいなかったため、友達と話すことも出かけることもなく、職場と自宅の往復の日々だったとか。

「寂しくて帰国したくてたまらなかった」。そんな日々から数年、今では近隣のベトナム人の中心的な存在となったタンさん。来日から今日まで、タンさんはどのように日々を過ごしてきたのでしょうか。外から吹き込む風が心地よい夕暮れ時、タンさんの暮らす社員寮でお話を伺いました。

 

初めての日本 会社のルールへの戸惑い

タンさんは、ベトナムで日本企業への採用が決まってから20人ほどのクラスで日本語を勉強しました。勉強が一段落した頃、日本から企業の担当者がやってきて面接を受け、日本行きが正式に決定しました。友達が日本で働いていたため、日本に行くことに不安はなく、日本に来てからも想像とのギャップを感じることはなかったと言います。

現在は、エンジニアとして図面からプログラムをつくる仕事をしています。そんなタンさんですが、来日当初に失敗したことがあったそうです。「今の会社で働き始めたころ、会社のルールがわからなくて恥ずかしい思いをしたことがありました。以前勤めていたベトナムの会社では、軍手や作業服など、すべてが会社から支給してもらえました。ところが、今の会社では軍手は自分で用意することになっていました。僕はそのことに気が付かず、しばらく同僚のものを勝手に使っていました。数日後、同僚に指摘されて初めて気が付いたときは恥ずかしくてたまらなかったです。何で最初に聞かなかったのだろうと、悔しい思いをしました」と、苦笑いしながら語ってくれました。

ベトナムと日本の文化

日本人の印象を尋ねると「日本人は仕事に一生懸命です。みんな熱心で、わからないことを尋ねると、わざわざ確認して教えてくれます。でも、道端でご近所さん同士が話をしている姿はあまり見かけません。それが少し寂しいです」とタンさん。ベトナムでは、いつも家のドアを開け放して、ご近所さん同士で会話をしているのに、と。「年齢に関係なく、誰とでも話すことができるのもベトナムの特徴です。

また、家族を大事にしていて、お正月には皆で集まって先祖のためにお祈りをします。日本のお盆のような感じです。今は日本にいるので、お正月にベトナムに帰れないこともあります。そんな時は、みんなでベトナム料理を作ってパーティーをします」と教えてくれました。そして、「日本人は困っていても我慢したり、少しずつ頑張ったりしているところがすごいです。そこがベトナム人とは違います。ベトナムで今回のような震災(=東日本大震災)があったら、混乱してバラバラになると思います」。

日本人との交流のきっかけ

来日当初、会社と自宅を往復するだけで、友達もいなかったタンさんの生活が変わったのは、大府市庁舎で開催されている日本語教室(大府市国際交流協会主催)への参加がきっかけでした。「研修生の友達に教えてもらい、一年くらい日本語教室に通いました。日本語教室へは、日本人と交流したい、日本語を忘れないようにしたい、将来のために日本語の能力を高めたいという思いから通い始めました」。その後、別の教室に変わり、現在は月曜日と木曜日の週に2回、日本語を勉強しているそうです。「たくさん勉強できたおかげで、日本語で話したり読んだりすることがだいたいできるようになりました。仕事で使う日本語は、仕事をしながら覚えました。リーダーや課長も直接教えてくれます。教室では、時々、日本人との交流会もあります」。

今年の3月、タンさんは勉強の成果を活かし、大府市国際交流協会主催の日本語スピーチ大会に出場しました。スピーチ大会では、震災に負けずに頑張っている日本人の精神について自らの思いを発表しました。タンさんのスピーチが終了したあと、被災地に向けてみんなで黙祷をしました。タンさんは、そのことに深く感動したそうです。

地域とのつながり

タンさんは、日本語教室への参加をきっかけに、地域のイベントにも積極的に参加するようになりました。5月に行われた地域の運動会では、綱引き防災リレー(=防災グッズを持ってリレーをするというもの)に挑戦しました。「綱引きでは、日本人とベトナム人が混ざり合うことができて楽しかったです」と笑顔で話してくれました。10月に行われる産業文化祭りでは、ベトナムコーヒーの販売を行う予定だとか。「産業文化祭りは昨年も参加したのですが、最初はお客さんとお話するのがとても恥ずかしかったです。でも、途中から慣れて楽しくなりました」とタンさん。

今では来日当初のような寂しさは、すっかりなくなったようです。時には友達と旅行をすることもあるそうで、これまでに富士山や京都、東京へ旅行したのだとか。「いちばん楽しいのは、誰かと海へ行って、貝を採りながら話したりすることです。海ではないですが、先日行ったリトルワールド(犬山市)も楽しかったです。知りたいことがたくさんあるので、どこかに行くのはとても楽しいです」。

イベントから日常へ

タンさんの日本語の先生でもあり、タンさんら外国人の地域のイベントへの参加を橋渡ししている北井康弘さんにもお話を伺いました。「大府市国際交流協会のボランティアをしていて、国際交流協会としてもっと地域に根差した活動がしたいと思い、地域のイベントに彼らを誘うようになりました。また、彼ら自身、職場でも日本人と話す機会があまりなかったようなので、地域で活動すれば認知度が上がり、日常的に声掛けができるようになるのではないかと思いました。地域とつながって一緒に何かをやるというのは、いちばん大事なことですが、なかなか難しいことです。今はタンさんたちのおかげで、外国人技能実習生だけでなく私たちも地域とつながるチャンスをもらっていると思っています。イベントへの参加を通じて、地域に根差すチャレンジをしています。外国人が地域に根差すことができれば、他の社会問題も解決できるのではないかと思います」。

地域住民からは、「2年前に出てくれたベトナムの踊りをまたやってほしい」、「どこのグループなの?」などと話しかけてもらえて、外国人住民への認識が広がり始めているそうです。「一年ぐらいやって、やっと認知してもらえ始めました。日常的なお付き合いができるようになるのはそれからですね」と北井さん。「ベトナム人は明るく、みんなで集まって何かをするのが好きです。ベトナム人の今の状況は昔の日本に似ているので、日本の60, 70代の方はベトナム人を見て、どこか懐かしいと思うのではないでしょうか。楽しいときはみんなで声をあげて笑ったりするので、そうした明るさが年配の人から見ていいなと思ってもらえるのではないかと思います。

ベトナム人と日本人の交流はお互いにメリットがあります。僕はその機会をつなげているだけです」と北井さんは言います。タンさんは、その言葉を受けて「ベトナム人はみんな、地域に参加したい、何か手伝いたいと思っています」と言います。「日本人からたくさん助けてもらっているので、自分ができることを少しでもやってお返ししたい。明日も先生の家で草取りをして、ベトナム料理をつくってみんなで食べます。日本とベトナムは遠いです。だから、日本で働いていて困ったときに気軽に相談できる日本人の友達がたくさんほしいです。困ったときに近くの日本人に聞けるのは安心できます」と話してくれました。

輝く未来

将来は、ベトナムで日本と関わる仕事がしたいというタンさん。「夢は2つあります。1つは、日本語の教室を開くことです。私の出身であるベトナム中部のビン(VINH)というまちには、日本語を学べるところがほとんどありません。勉強をしようと思うと、ホーチミンやハノイに出なければなりません。近年は日本の工場がベトナムに増えていて、日本語を勉強したい人が多くいるので、中部にも日本語の学べる場所をつくりたいです。そのための土地も買いました。もう1つの夢は、結婚式などパーティーのできるレストランをつくることです。日本のサービスは素晴らしいので、今のベトナムにはないサービスを提供できるレストランをつくりたいです」。

来日から4年、タンさんは日本でも居場所を見つけ、充実した日々を送りながら、着実に夢に近づいているようです。温かく柔らかい笑顔のタンさんのこれからを応援しています。

 

*この記事は、2012年10月発行『たぶんか便り』第7号の記事を元にしています。本文内の情報はすべて、発行当時のものです。

 

 

 

 

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