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【個人インタビュー 012】石井瑞穂さん

2020年07月09日 15:52 by tabunka_tokai
2020年07月09日 15:52 by tabunka_tokai

ハーフは自慢できること ~日韓のハーフに生まれて~

近年、国際結婚の増加に伴い、日本における新生児の50人に1人は外国人と日本人との間に生まれているという統計があります(注1)。現在、グラフィックデザイナーとして活動し、当団体が発行するグルメマップ等のデザインを担当している石井瑞穂(いしい・みずほ)さんも、日本人の父と韓国人の母を持つハーフ(注2)です。

ハーフであることは特別なことではなく、むしろ「自慢できること」だという石井さん。そう思うようになった背景にはどのようなきっかけがあったのか、幼少期や韓国への留学時代のお話を伺いました。

(注1)厚生労働省「平成22年人口動態統計年報 主要統計表」より。

(注2)「ダブル」や「ミックスルーツ」などの呼称も使われている。

 

ー いつ頃からハーフであることを自覚していましたか?

幼稚園の時に自分がハーフであるか知っていたか知らなかったか記憶にないんですが、小学生の時は自分がハーフであることを知っていたような気がします。小学校の長期休みになると頻繁に韓国に遊びに行っていました。日本人の友達が長期休みに田舎のおばあちゃんに会いに行くというのと同じような感覚で小さい頃から韓国によく行っていたので、韓国は本当に私にとって身近な存在でした。小さな頃から韓国を身近に感じていたので、誰かにハーフであると教えられたのではなく、自然と自分がハーフであると知ったんじゃないかなと思います。

ー 家庭の中で韓国に触れる機会はありましたか?

父は韓国語が話せないので、父と母は日本語でコミュニケーションをとっていました。母は日本語を覚えるのに苦労したと思いますが、生活の中で自然と日本語を身に付け、今は流ちょうな名古屋弁を話しています(笑)

私が生まれたときに父と母が日本語と韓国語のどちらの言葉で子どもを育てるかと話し合い、日本語で育てようと決めたようです。当時、母はまだ日本語をあまり話すことができなかったんですが、一生懸命幼い私に日本語で話しかけてくれていたようです。小さい頃から韓国語も話してくれていれば今頃はバイリンガルになっていたのに…と少し残念に思っています。

家庭の中にこれといって「韓国」の文化はありませんでした。冷蔵庫にキムチが比較的よく入っているということくらいですかね(笑)

あとは、韓国では料理を個別に取り分ける文化がなく、私の家でも大皿で箸をつついておかずを食べていました。ときどき食卓に韓国料理が並ぶことはありましたが、母は結婚してから父方の祖母に教わって料理を覚えたので、和食中心の食卓でした。韓国料理が食べたくなって韓国に行くこともあります。やっぱり、韓国のほうが味も美味しくて値段も安いですね。最近は友達に通訳やガイドを頼まれて韓国に行くこともあります。

ー 韓国に留学したのはどうしてですか?

進学した芸術大学の交換留学制度の留学先に韓国があることを知って、20歳の時に半年間留学しました。自分のルーツが韓国にあるということは小さい頃から何度も韓国に行くことで体感していましたから、その時の留学は自分のルーツを探すためではなく、せっかく韓国の血が流れているんだから韓国語が話したい、ずっと日本にいるのはもったいない!という想いからでした。

中学校や高校時代に、クラスメイトに「私ってハーフなんだよね」というと「じゃあバイリンガルだね」と言われることが多くて、韓国が話せない事に“悔しい”という気持ちもあったんだと思います。留学するまでは、韓国に遊びに行った時は親戚と会話をすることができず、すべて母が通訳をしてくれていました。小さい時は年の近い従姉妹とは言葉を使わなくていいような遊びしかできませんでした。言葉ができないことにずっともどかしい気持ちを持っていたので、留学をして韓国語が話せるようになって初めて母方の祖母や親戚と会話ができたことはすごく嬉しかったです。

私が韓国語を話せるようになって、祖母が一番喜んでいました。母も私が留学で韓国語が話せるようになって帰って来たことは嬉しかったようですね。

(チマチョゴリがとってもお似合い)

ー 日本と韓国に対してどのような思いを持っていますか?

日本と韓国は一番近い国ですが、仲の良い国とは言いづらい現状があると思います。以前参加したワークショップで日本と韓国の間で起きた過去の問題を許せるか許せないかと議論になりました。

わだかまりのある国同士の国際結婚で生まれた自分自身がその時に伝えたのは、「過去は変えられないし問題は解決しないかもしれないけれど、こうやって私が生まれてきているということは、それを乗り越えてきた人間がいるんだ」ということです。

父と母は仕事を通じて日本で出会いましたが、簡単に結婚できたわけではありませんでした。母側の親戚は祖父世代の人たちが日本兵に殺されていたので「日本人と結婚するなんて」と結婚を反対していたそうです。しかし、誠実な父の性格を知り、「この人とだったら娘は幸せになれる」と結婚を許してくれたそうです。

また、テレビなどで日韓の話題を目にすると、第三者的な立場で2つの国の意見を聞いている自分がいます。友人と日韓の話題になった時に、私が韓国とのハーフと知らずに韓国のことを悪く言われるとあまり気分は良くないですね。そういった時は臨機応変にですが、自分がハーフであることをカミングアウトしています。韓国の現状を知っているので、韓国に対して間違ったことを教え広めようとしている人には、そんなことないよと訂正する時もあります。

現在、特に日韓の架け橋になるような活動はしていませんが、以前韓国語が話せることと教員免許があることがきっかけで、「アジアンビート」という日韓の小学生が一緒に船旅をするという企画で引率をしたことがあります。今後も自分が必要とされることがあれば参加しようと思っています。

(自身がデザインを手がけたパンフレット)

ー ハーフであることをどのように思いますか?

今までにハーフであることに葛藤や困ったことは一度もありません。ハーフであるということは人に言えないことではなく、小学生の時からハーフであることを自慢に思っていました。韓国に行っても海外に行っているという気分ではなく、すごく身近に感じています。

2つの文化を最初から持って生まれてきて、世界が最初から広いということは自慢できることだと思っています。ハーフの人の中には、自分がハーフであるということを言えないという人もいると思います。それは日本に移民が少なく閉鎖的な国なので、ハーフであることに特別感があるのかなと思います。アメリカなどであればハーフであることは普通のことですからね。

私は特にハーフであるとカミングアウトすることに抵抗感を持っていません。しかし韓国とのハーフであると告げると、「在日朝鮮人?」と聞かれることがあります。その時は訂正します。「在日朝鮮人」の方には、またちがった歴史があります。

(東日本大震災被災地でのボランティア活動)

ー 国際結婚をしている人に伝えたいことはありますか?

国際結婚をした友人などには、バイリンガルに育てたほうがいいということと、名前は両方の国で発音できる名前にしてあげたほうがいいということをアドバイスしています。私の名前は「みずほ」というのですが、「ず」の発音は韓国の人には難しいようで、名前をちゃんと呼ばれたことがありません(苦笑)

将来もし私自身が結婚して子どもが生まれたら、私がハーフであることを自慢に思ってきたように、子どもにも韓国の血が1/4入っていることを自慢に思ってもらいたいですし、海外が隔たりのある先のところにあるものではなく、パスポートがあれば行ける場所だと思って育ってもらえたら嬉しいです。

 

*この記事は、2014年6月発行『たぶんか便り』第12号の記事を元にしています。本文内の情報はすべて、発行当時のものです。 

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