たぶんか便り

web版『たぶんか便り』創刊

【個人インタビュー 014】照屋エイジさん

2020年07月09日 15:50 by tabunka_tokai

2017年9月に開催された「外国人県民あいち会議」には、次世代を担う外国ルーツの若者たちが多数登壇し、これからの愛知県の多文化共生推進に向けて議論を交わしました。

そのお一人、日系ブラジル人の照屋エイジさんは2016年にブラジル国籍者として初めて司法試験に合格。その報せは各種メディアを通じて国内外の関係者を勇気付けました。司法修習が始まる前のお忙しい時期でしたが、照屋さんの“地元”の一つ、刈谷市の国際交流プラザでお話を伺うことができました。

 

—生まれはどちらですか?

ブラジルです。1992年にブラジルのサンパウロ州、リベルダージで生まれました。祖父母が沖縄出身で、祖父は1957年に那覇から渡伯したと聞いています。なので、僕は日系3世になります。ブラジルには8歳までいました。実はその間、何回か沖縄に行ったことがあります。8歳の時、デカセギである母に連れられて来日しました。

—来日直後はどんな様子でしたか?

家は、埼玉県の川越市でした。母は弁当工場で働き、僕は近くの公立小学校の3学年に編入しました。慣れないうちは学校生活も大変でしたが、祖父母とは少し日本語で話していたのと、友達にも恵まれて、めちゃくちゃ苦労したとまでは思いません。それより、生活環境のちがいのほうが辛かったですね。住んでいた家のすぐ近くに山があって、苦手な虫とかがいっぱいいて(苦笑)

 

—愛知県には、いつごろいらしたんですか?

中学2年の春です。母の仕事の関係で、最初は新城市に移って、1年後には今の刈谷市に引っ越しました。推薦で豊田市内の高校に進学して、大学は名古屋大学ですが、家は刈谷市内のままです。高校の時は片道2時間以上かけて通っていたので、けっこう大変でしたね。刈谷に来てもう10年。今まででいちばん長くなりましたね、サンパウロよりも。

—いつごろから弁護士になろうと思われたんですか?

中学2年生ぐらいからです。当時、弁護士モノのドラマをよくやっていて、かっこいいなと思って見ていました。高校に進学したときにはもう、大学は法学部に入るんだって決めていました。愛知県内だと、国公立で法学部があるのは名古屋大学と数えるぐらいしかなかったので、第一志望を名古屋大学法学部と決めて勉強に励みました。高校の先生がとても面倒見がよくて、特に数学と英語をがんばりました。おかげで、塾に行ったり家庭教師を頼んだりすることもなく、第一志望に合格することができました。本当に、先生と友達のおかげだと思っています。

—お母さんも喜ばれたでしょうね。

はい。法学部を目指しているということは言っていたんですが、名古屋大学がどんなものかはよくわかっていなかったかもしれません。とにかく、喜んでくれたし、もちろん僕も嬉しかったです。

—大学生活も勉強漬けの毎日だったんですか?

いえ、そんなこともありません。勉強と実践を兼ねて、1年次から学内の「法律相談所」というサークル活動で、先輩たちといっしょに学生や外部の一般の方々の法律相談を受けるボランティアをしていました。1,2年次は「書記」といって、先輩が受ける相談の記録をとる係。3年次から相談を受けて回答を考え、顧問の先生のチェックも受けて相談者にお返しするということをやっていました。年間で60から70件ほども相談があって、とても勉強になりました。

それと、3年次の終わりごろ、たまたま学内のポスターでみかけた「JETS(ジェッツ)」という国際ボランティアにも参加しました。名古屋市内にある小学校の特別支援学級で、子どもたちに勉強を教えるお手伝いをしました。その学校には外国にルーツを持つ子どもが多く通っていて、特別支援学級にもブラジル人の子どもたちが何人かいました。

あ、ちなみに中学は弓道部に入っていたし、大学では学費を稼ぐためにアルバイトもしなきゃいけなかったし、別に勉強だけしかしていなかったわけじゃないんですよ(笑)

(ブラジルにて、伯母さんと従兄弟たちと)

—そうなんですね(笑)その後、大学院に進学されたんですよね。

はい、名古屋大学の法科大学院、いわゆる「ロースクール」の既修コースで2年間勉強しました。2016年3月に修了して、5月に司法試験を受け、9月の結果発表で合格になり、今に至ります。

—“一発合格”なんてすごいですね!でも、それから今までは何を?

司法試験に合格したら司法修習を受けるんですが、実は試験を受ける前から、一度ブラジルに帰って、今のブラジルを見てみたいと思っていたんです。それで、弁護士のご紹介で二宮正人(にのみや・まさと)先生にお会いする機会があり、お願いして2017年3月から9月までの半年間、二宮先生の事務所で勉強させてもらうことができました。運良く伯母の家から近かったので、毎日そこから通っていました。

(二宮法律事務所の先輩たちと)

—10年ぶりのブラジルはどうでしたか?

思っていたより大変でしたね。今でも母とはポルトガル語で会話しているんですが、ブラジルでは僕のポルトガル語がなかなか通じなくて。電話でのやりとりはもちろん、日常生活でも困る場面がありました。食堂に行くと「ポルキロ」といって、ビュッフェ形式でお皿に好きなものを乗せて、その重さに応じて料金を支払うシステムがあるんですが、「本当にこの値段なの?」とかって聞いてもよくわからなくて。

あと、やっぱり日本とのいちばんのちがいは治安ですかね。日本では夜遅くまでお酒を飲んで酔っ払ってもとくに問題ないんですけど、ブラジルでは危なくてできません。自然とお酒の量は控えめに、早めに家に帰るようになりましたね(苦笑)

(ピラルク釣りに挑戦!)

仕事の面では、いろんな相談場面に立ち会うこともできたし、ブラジルの法律についても改めてしっかり学びたいなと思いました。なにより、二宮先生の仕事に対する姿勢は本当に尊敬します。いつ寝ているんだろうかというぐらい、いつも忙しく一生懸命お仕事をされていらっしゃいます。

—帰国して間もなく、愛知県が主催する「外国人県民あいち会議」に登壇されましたね。これはどういう経緯だったんですか?

5月に知り合いを通じて、愛知県多文化共生推進室の担当者とつながり、彼女からオファーを受けました。公の場で何か意見を言うというような経験がなかったので、僕でいいのかなと思いましたが、何か役に立てればとお受けすることにしました。

参加してみたら、とても楽しかったですね。他の登壇者のみなさんが、とても面白い方ばかりで。自分とはちがういろんな考えを聞くこともできました。例えば、「外国人をあまり甘やかせすぎないで、自立させることも大事」という意見がありました。たしかにそれも一つだとは思うんですけど、僕は個々人が自立できるような生活環境を整えること、がんばった人が報われるような社会にすることに貢献していきたいと思っています。労働環境や教育環境など、ある程度安定していないと自立は難しいですからね。まだまだ、不安定な状況に置かれている人も少なくありません。そういう人の力になれたらと思います。

—会議の中では、日本国籍を取得するかどうかという話もありましたね。

はい。どっちがいいとかじゃなくて、それぞれが考えて決めればいいことだと思います。僕自身は、これからもブラジル籍でいようと思っています。自分と同じ立場(=日本における外国人)の人が相談にのってくれる、ということに安心感を覚える人もいると思いますし、僕も相談者により近い立場に立って考えることができると思いますから。

 

—なるほど。最後に、今後の予定について教えてください。

はい、来月から埼玉県で開始される司法修習に参加します。これは約1年間あるんですが、その間に、名古屋で実習があったり、11月には「2回試験」と言われる司法修習生が受ける試験があって、それに合格すると晴れて弁護士登録をすることができます。実際に弁護士として仕事をするのはそのあとなので、早くて2019年の春ぐらいですかね。それまで、しっかり勉強と実習に励みたいと思います。 

—今日はお忙しいところありがとうございました。今後のご活躍を期待しています。

ありがとうございます。 

関連記事

【個人インタビュー016】玉城エリカさん

web版『たぶんか便り』創刊

【個人インタビュー 015】モニカ・フランシスカさん

web版『たぶんか便り』創刊

【個人インタビュー 013】薛燕さん

web版『たぶんか便り』創刊

読者コメント

コメントはまだありません。記者に感想や質問を送ってみましょう。