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【個人インタビュー 015】モニカ・フランシスカさん

2020年07月09日 15:49 by tabunka_tokai

三重県が実施した外国人住民国籍・地域別人口調査よると、県内の外国人住人数は47,665人で前年比9.7%の上昇となりました(平成29年12月31日現在)。この調査は毎年行われていて、外国人数は2014年から4年連続で増加しています。こうして新たに来日した人々は、はたして言葉も文化も違う日本社会にうまく溶け込めているのでしょうか。今後も増加すると考えた場合、こうした人々をサポートするシステムは構築されているのでしょうか。

今回は、四日市市役所の四郷(よごう)地区市民センター相談員として、外国人住民の生活相談を担当されているモニカ・フランシスカさんに、共生社会に向けた取り組みの現状と課題についてお話を伺いました。

 

 

「日本が大好き!」と言うモニカ・フランシスカさんは、インドネシアで生まれ育ちました。母国の大学を卒業後、もう少し勉強を続けたいと留学を考え、いくつかの国を検討していたそうです。そんな彼女が初めて日本を訪れたのは、1997年12月のこと。

―来日のきっかけは?

最初はカナダに興味を持っていましたが、決める前にいろんな国に行ってみようとオーストラリアやシンガポール、日本を訪れました。日本を選んだのは、友人が埼玉に住んでいたので会いに行こうと思ったからです。来てみたら、すごく気に入ってしまって。日本に一目惚れでした(笑)その時は2週間ほど滞在して帰国したのですが、翌98年の3月にまた来てしまいました。

(金閣寺を背に浴衣で記念の一枚)

 度目の来日時に、運命の出会いがあったそうですね。

ブラジル出身の現在の旦那と出会い、結婚しました。それで結局、大学へは行きませんでした。その後、旦那の母国であるブラジルに渡って3年ほど過ごし、2005年に旦那の仕事の関係で再び日本へ戻ってきました。

正直、ブラジルの文化は、私にはしっくりきませんでした。ウエスタンっぽいと言うか、なんでも自由といった雰囲気に馴染めなかったのです。ずっと日本に戻りたいと考えていました。

―日本のどんなところを気に入っているのでしょうか。

“おもてなし”の文化です。カナダは自然がきれいだけど、おもてなしの文化はありません。おもてなしの文化にみられる細やかな気遣いが、とても心地よくて大好きなんです。

―3度目の来日後は、何をされていたんですか?

当初は群馬県に住んでいたんですが、東日本大震災後に不安を抱えて過ごす中、三重県から旦那の仕事関係のオファーがあり、5年前に三重県に移り住みました。

現在、旦那は県内の人材派遣会社で外国人労働者の通訳や仕事の紹介をしています。私は市役所の相談員として、外国人住民の暮らしをお手伝いしています。

―お仕事では、これまでのご自身の経験が役に立っているそうですね。

私がいちばん苦労したことは“言葉の壁”ですね。日本に来たばかりの頃、知っている日本語は「ありがとう」くらいでした。日本語がまったくわからなかった頃は仕事を探すのも大変でしたし、具合が悪くなって病院に行ってもお医者さんにうまく伝えることができない、先生の言っていることが理解できないといった状況でした。

(安芸の宮島で、ご家族と。)

今でも忘れられないのは、初めて妊娠した時です。いつも先生の指示を紙に書いてもらって、家に帰ってから辞書を引いて確認していました。当時は今みたいに医療通訳もいませんでしたし、母子健康手帳は日本語版しかありませんでした。国の母に相談しようにも国際電話はお金がかかるし、本当に不安でした。相談できる友人はいましたが、間違って伝えられることも多くて、結局自分で理解しなくてはと思って日本語を一生懸命勉強しました。こうした経験から、日本に来る外国人にはできるだけ日本語を勉強してほしいと強く感じています。

 ―日本語の勉強はどうでしたか?

今、私は、母国語のインドネシア語の他に、英語とポルトガル語、そして日本語が話せますが、中でも日本語は特に難しかったです。でも日本が大好きだったから、とにかく勉強しようと思いました。それに、子どもたちは日本で育っていますから、普段の会話は日本語です。子どもとコミュニケーションをとるためにも、日本語の習得は必須でした。日本語を理解できるようになると、生活が大きく変わりました。わからないことがあっても、自分で調べることができます。今の時代、インターネットの検索サイトで簡単に調べ物ができますが、言葉がわからないと検索すらできません。もちろん、便利な翻訳サイトもありますが100%正しいとは言えません。

―活動地域である四郷地区は、ブラジル人が多く暮らしているそうですね。

ブラジルの人達は独自のコミュニティがあって、日本語が話せなくても生活できるからそれでいいと考える人も多いように思います。でも、日本語がわからないために簡単な行政手続きにも知人にお金を払って通訳や翻訳を頼んでいるのを見ると、本当にそれでいいのかなと少し疑問に感じてしまいます。また、そうした人達の子どもも日本で育っていきます。私も経験しましたが、日本の教育システムは日本人のママ友とコミュニケーションをとらないとなかなか理解できません。子どもたちが成長するにつれ、わからないことに答えてあげることができなくなる日がくることは避けられないと思います。

(インドネシアやブラジルでは体験できない銀世界!)

―“言葉の壁”の他にはどんな課題があるのでしょうか。

行政としては、さまざまなお知らせを多言語で作るようにしています。英語やポルトガル語、スペイン語などですね。でも、彼・彼女達には「読む文化」がないのか、翻訳してもなかなかそれを読んでくれません。どうやって伝えようかといろいろ考えて、最近フェイスブックなどのSNSで配信するようにしてみました。そうしたら結構シェアしてもらえて、今まで行政の相談窓口を知らなかった人達が相談に来るようになるなど、一定の効果を感じています。これからはこうした方法に力を入れるのもいいかと考えています。 

 ―今後の夢や目標を教えてください。

群馬にいた頃は、ALT(=Assistant Language Teacher:外国語指導助手)として小中学校の英語教育にも携わりました。その後、自分が苦労した経験から医療通訳や今の相談員の仕事をしてきましたが、新たなチャレンジとして大好きな日本人の役に立ちたいという思いがあります。できれば、英語の教師をしていた経験から日本人向けの英語教室を開けたらいいなと考えています。

 外国人として来日し、さまざまな壁を乗り越えて日本での生活を楽しんでいるモニカさん。一方で、壁を乗り越えることが難しい人たちとも向き合い、自身の経験から感じたことを伝えていくことは簡単なことではありませんが、「今の仕事は大好きです。今後も続けていきたい」と言う彼女の姿は、外国人との共生社会づくりに向けて取り組む際の姿勢を示してくれているようです。モニカさんのような人々の働きが、日本の外国人受け入れのためのシステム構築に貢献していることは間違いありません。今後の活躍を心から応援しています。

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