子どもたちに母国文化を伝えたい
豊橋市に暮らすペルー人のエリーサさんは、在日ペルー人の民族舞踊団体ILLARIY DEL PERU(イヤリー・デル・ペルー)のメンバーとして活動中です。1993年に来日し、現在はご両親とご主人、3人の子どもたちと暮らしています。日本での生活、その中での言葉や習慣のちがい、子どもたちに母国の文化をどう伝えるかなど、多くの苦労をどう乗り越えてきたのかを伺いました。
日本に来て
― 来日したころはどうでしたか?
とてもつらかったです。両親が先に来日して、私はペルーで高校を卒業した後、1993年に日本に来ました。友達が一人もいなくて日本語も話せなかったので、どうして自分は日本にいるんだろう、ペルーにいれば友達と一緒に大学に通えたのにと、とっても悩みました。
― 今では日本語が大変お上手ですが、何かきっかけがあったのですか?
両親に勧められて日本語学校に通い始めました。日本語が理解できて、話せるようにもなり、日本社会のしくみや周囲の人たちの考え方がわかるようになりました。仕事にも就けて、友達もでき、結婚して3人の子どもを育てながら、日本社会とのつながりを深めてきました。
ILLARIY DEL PERUでの活動
― 活動のきっかけは何でしたか?
故郷のペルーを離れて10年も経つと、寂しさや恋しさが強くなりました。ブラジルのイベントで民族舞踊のステージを見て、こんな活動もいいなあと思っていたら、同じ思いをもっていた今のメンバーと知り合いました。「民族衣装を着て母国の踊りを踊ったら楽しいよね」と気軽な気持ちでした。最初は子どもだけでしたが、大人もやってみたいと途中から一緒に活動を始めました。
― 子どもたちにペルーの文化を伝えたいという気持ちはありましたか?
最初は遊びで始めた活動ですが、子どもたちが成長するにつれて、子どもたちに母国ペルーの文化に少しでも興味を持ち、身に付けてほしいと思うようになりました。みんなで「母国の踊り」を練習して披露することが、ペルー人同士のつながりを強めたり、親から子へ母国の風習を伝えたりするのに役立っています。
僕は日本人?それともペルー人?
― ペルー国籍の子どもたちは日本の学校に通い、日本人と同じように生活しているようですが、何か工夫していることはありますか?
子どもたちは日本で生まれ育っているので、日本人と同じ風習や考え方をもつのは仕方のないことです。そうした中で、「私たちはペルー人で、日本人ではない」と子どもたちに伝えるのはとても難しいです。でも、ペルーの踊りを見せたり、スペイン語で話をしたりして、ペルーの文化に興味を持たせたり、ペルーについての共通の話題ができるようにと努力しています。
― 子どもたちは普段、日本語とスペイン語とどちらで話しますか?
子どもたちは、日本語もスペイン語も使えます。家では基本はスペイン語ですが、日本語の単語をそのまま使ったり、とっさのときには「おいおい、ちょっと」なんて言ってしまったりするので、実際はスペイン語と日本語のミックスですね。
― 子どもたちは自然と2か国語が身についたのですか?
4歳ぐらいまでは日本語だけでしたが、それ以降にスペイン語を少しずつ教えました。きっかけは、長男の保育園時代です。急に口数が減ったので保育園の先生に相談したら、「日本語の大人とスペイン語の大人がいて、本人が何語で話せばいいか戸惑い、発言できないのでは?」と言われました。それで、しっかりと自己表現できるまでは日本語だけを使うようにしました。
― その後、スペイン語を教えたのですね?
はい。先生から「子どもの頭はスポンジのようなもので、一定の年齢を超えたらきっと2か国語でも覚えて使い分けられるようになりますよ」と言われたので実践しました。
― スペイン語はペルー人同士のコミュニケーションに役立っていますか?
私の両親は日本語をあまり話せませんので、子どもたち(両親にとっては孫たち)はスペイン語でうまくコミュニケーションを取っています。母国語を使うことはとても大切で、私の母も、私と子どもが日本語で話していると「スペイン語を使いなさい」と怒ります。子どもたちも私の両親と1日一緒にいて、帰ってくるとしばらくはスペイン語しか話さなくなるので、頭がうまく切り替えられるようです。
ペルー人として
― 最後に「ペルー人」として子どもたちに身につけてほしいことを教えてください。
日本で育った子どもたちですが、日本人より性格が明るく、正義感が強いと感じることがあります。これがペルー人らしさかもしれません。また家では、他人への感謝の気持ちと親愛の気持ちを常に忘れず、きちんと表現するようにと話しています。ペルーでは知り合いと出会うとハグをしたり、頬にキスをして親愛の気持ちを表したりするので、そうした習慣を身に付けてほしいからです。
― なぜ、意識的にそういうことを行っているのですか?
ペルーに帰ったときに、私自身が周りの人から「冷たくなった」と言われてショックを受けたことがあるからです。私も日本の習慣が身についていて、それが無意識に自分の中で普通になっていたのです。ペルーでは家族や親戚、地域や学校の仲間をとても大切にします。日本に離れて暮らしている子どもたちが、ペルーの私たちの親戚に自然に受け入れてもらえるには、感謝や親愛の気持ちをストレートに表現できることがとても大切なので、意識して身につけさせるようにしています。
(エリーサさん一家と筆者:後列左)
エリーサさんは、「日本」と母国「ペルー」の狭間で、どちらかに背を向けるのではなく、巧みに両立している人でした。「ことば」「習慣」「文化」をバランス良く、しかも子どもたちがストレスに感じないよう上手に伝えていることがとてもよくわかりました。もちろんそれは簡単なことではなく、エリーサさん自身も来日当初に感じた孤独感や、子どもたちの「自分は何人なのか」、「周囲の日本人と違うのか同じなのか」という戸惑いを一つずつ、悩みながら答えを見つけていった結果だと思います。
エリーサさんはもうすぐ10歳になる次男を、ペルーの親戚に2週間程度あずけるそうです。本人には大きな「戸惑い」が生じるでしょうが、母国のことや家族の温かさを肌で知り、またペルー人であることの誇りを感じる良い機会になるだろうと言います。一方、私たち日本人も、今後は在日外国人の増加とともに国内で他国の文化に接する機会や、私たち自身が海外で生活する機会が増えることが予想されます。その時、多文化共生を実践しなければいけませんが、なかなかすぐにできるものではありません。積極的に海外に出たり、他国の人や文化に直に接したりすることで、エリーサさんのように、私たちも言葉の壁や戸惑いを感じながら、自国との違いを理解し、自分なりに折り合いをつけていくことが大切だと感じました。
*この記事は、2012年5月発行『たぶんか便り』第6号の記事を元にしています。本文内の情報はすべて、発行当時のものです。
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