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【団体インタビュー 008】ビルマ民主化同盟

2018年05月25日 10:36 by tabunka_tokai
2018年05月25日 10:36 by tabunka_tokai

政治難民による民主化運動~本当の意味での民主化へ~

2011年、テイン・セイン氏が大統領に就任したことによって軍事政権に終止符が打たれ、徐々に民主化へ向かいつつあるビルマ。ビルマ民主化同盟は、軍事政権下のビルマで政治的意見の弾圧にあい日本に逃れた人たちがビルマの民主化をめざし、名古屋市内でデモ行進や講演会を通じてビルマの現状を多くの人に知ってもらおうと活動している団体です。ビルマの軍事政権が終わり民主化に変わりつつある現在は、情報交換をしたり勉強会を開いたりして、国を見守るというような活動をしています。今回はそのビルマ民主化同盟の中心メンバーの一人、ミンティンさんにお話を伺いました。

*軍事政権により現在の公式な英語表記は「ミャンマー」と改められ、日本でもこの呼称が広く知られていますが、今回はインタビューに応じてくださったミンティンさんが使用している「ビルマ」と表記します。

“政治難民”として日本へ

1988年、当時20代のミンティンさんは、まだ軍事政権であったビルマで学生運動に参加していました。ビルマで反政府の意思を持つことはとても危険でした。ミンティンさんは国外に逃れようとした人を支援したこともあって、自らの身の危険を感じ1990年に日本へ逃れてきました。当時は「民主化」という言葉を口に出すことや、民主化運動の指導者であるアウンサン・スーチー氏の写真を飾ることも政府によって取り締まられていたと言います。ミンティンさんは、弟が日本にいたからという理由で日本に来ることに決めたそうです。

日本とビルマは昔から友好関係を築いてきたので、日本にはこうした政治的な迫害が理由で逃れてきた難民が多く住んでいるのだとか。ミンティンさんは、地域で開かれる日本語教室が、日本に馴染むためにとても助けになったと話してくれました。その後、ご自身も国際交流ボランティアとして、地域の多文化共生をめざす活動も行うようになったそうです。

軍事政権下での暮らし

「軍事政権下だったビルマでは、政府の指示は絶対だった。なんでも上から指示されたことをやり、行政手続きのなどの順番も権力がある人が先で、自分の意見を言うことはできなかった。当時は海外の新聞やラジオを聴くこともできなかったので、国が発行する新聞に書かれていることがすべてだった」。そのためミンティンさんは、世界から見るとビルマが経済的に下位であることを知ったとき、とても驚いたそうです。外の情報が入ってきにくく、国が発行する新聞にはビルマの良い点のみ書かれていたので、そのような国のあり方に疑問をもつことなく生活していたのだと。その中で民主化の動きが厳しく取り締まられ、アウンサン・スーチー氏をはじめとする多くの活動家が軟禁や投獄されることとなりました。

長い間軍事政権と民主化運動との対立が続き、ようやく2011年になって政権交代により軍事政権が終わることとなりました。しかし、新しい内閣を構成する閣僚のほとんどが軍人であり、「本当の民主化はこれから」だと言います。ミンティンさんも、まだ今は帰れる状況ではないと判断し、日本でビルマの“真の民主化”を願って活動しています。

(名古屋市内でのデモ行進の様子)

日本での暮らしと難民認定制度

ミンティンさんは日本に来て数年間、鉄工所で仕事をしていました。母国に帰ると命を脅かされる危険があるため帰ることができず、まもなく在留資格を喪失しました。その後は、保険に入れなかったので、常に怪我や病気を心配しながらの生活でした。しばらくして、日本に難民認定制度があることを知りましたが、「在留資格がないのに難民申請をしたら不法滞在として捕まってしまうかもしれないという不安から、なかなか申請に踏みだせなかった」そうです。また、日本の難民認定の審査はとても厳しく、認定されないケースも多いと聞きました。そうしてミンティンさんは、日本に来てから難民制度があると知るまでに5年、それから申請するまでに3年、申請してから難民認定されるまで4年という、とても長い年月がかかりました。

難民認定されると法的に日本に在留することが可能となり、健康保険に加入できたり、困窮時には生活保護を受けたりすることができる可能性があります。また、就労や就学などで日本国民と同じ待遇が受けられるようにもなります。ミンティンさんも難民認定されてからは安心して日本で過ごせるようになり、自信をもって仕事ができるようになったそうです。しかし、たとえ難民認定を受けることができたとしても、日本語がわからなかったり、周りに頼れる人がいなかったりした場合、日本での生活が不自由で不安なものであることに変わりはありません。現在、日本政府は難民認定者に対して日本語教育等のサポートをしていますが、ミンティンさんは「同じ地域にサポートしてくれる人がいるとさらに心強い」と言います。

(民主化に向けた署名活動)

「ビルマ民主化同盟」設立

日本に住むビルマ人が、お互いを助け合うことと母国の民主化を日本から促進することを目的として結成された団体が「ビルマ民主化同盟」です。これまで、ビルマの民主化を訴えるデモ活動や署名活動、講演会などを行ってきました。また、他のグループとともに年に一度、ビルマの旧正月を祝う「水掛け祭り」を開催していて、この日は名古屋に近隣の在日ビルマ人が集まる大きな行事となっています。ビルマが軍事政権から民主化政権に移行しつつある現在は、活動内容もデモや署名集めから、勉強会や情報交換などに変わってきていて、「これからのビルマに期待を寄せて見守っている」と言います。

(「名古屋ビルマ水かけ祭り」の様子)

ビルマのこれから

今後のビルマについて尋ねてみると、「もっと変わるべき。日本に来て初めて気づいたが、ビルマでは物づくりをしていない。豊富な資源を生かして物づくりを推奨し、国内で一生懸命に働ける環境をつくるべき」と話してくれた。現在、ビルマでは働く意欲のある人ほど国外に行ってしまうそうです。「これからビルマは、民主化にともない自分の考えを持ち、自分の意思で働くことをしていかなければならない」とミンティンさんは言います。働く意欲ある国民が能力を発揮する場をつくっていくことは、きっとこれからのビルマの状況を経済的にも良い方向へと向かわせてくれると信じています。

ミンティンさんの思い

インタビューを終えるころ、ミンティンさんは「いつか祖国に帰りたいと思っている」と話してくれました。現在5歳になる子どもがいるミンティンさん。「子どもにはビルマ語と日本語と英語を話せるようになってほしい」と思っています。「言葉の壁がなければ世界が広がり、いろいろな考え方に出会い、一つの考えに囚われることなく広い見識を持つことができる。日本人はこうだとか、ビルマ人はこうだと決めつけるのではなく、国や人種に関係なくみんなそれぞれ一人の人間として触れ合いたい。はっきりと自分の意思を持ちながら、人それぞれの考えを認め合える。そんな社会が、本当の意味での民主主義といえるのではないだろうか」と話すミンティンさんは、ビルマだけでなく日本の未来もそうであってほしいと願っているようでした。

 

*この記事は、2013年2月発行『たぶんか便り』第8号の記事を元にしています。本文内の情報はすべて、発行当時のものです。

 

 

 

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